「小指の思い出」
芸術監督野田秀樹の傑作戯曲を
気鋭の演出家で上演する東京芸術劇場の人気シリーズ第3弾!
美しい詩的イメージに溢れた幻の少年当り屋の物語に、破格の才能で注目される若手劇団"マームとジプシー"の藤田貴大が挑む!!
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『小指の思い出』演出家・藤田貴大 ロングインタビュー
─野田秀樹作『小指の思い出』を、藤田貴大(マームとジプシー)が演出する、ということ─
取材・文 徳永京子
野田秀樹が作・演出・主演し、1983年に夢の遊眠社で上演された『小指の思い出』。当時28歳だった野田の、奔放な想像力と疾走する言語感覚が満ちた戯曲は、難解を超えて痛快で、また、演劇だけしか生み出し得ないリリシズムにあふれ、これを遊眠社のベストワンに推す人も多い。
だが、あまりに自由なイメージは現実的な整合性とはかけ離れ、具体的に可視化することが容易ではなく、本人以外の演出家に演出されることは少なかった。
ところが「野田秀樹の戯曲を演出するとしたら、何がやりたいか?」と聞かれ、藤田貴大は即答で、この作品の名前を挙げたという。
藤田は現在29歳、劇作家の登竜門とされる岸田國士戯曲賞を26歳で受賞し、作・演出・主宰を手がける劇団マームとジプシーの公演は、各新聞の劇評にこぞって採り上げられるなど、次の世代をリードするキャリアを順調に重ねている。また藤田は、いくつもの雑誌にコラムや詩を発表する一方、漫画家の今日マチ子、小説家の川上未映子、歌人の穂村弘、ブックデザイナーの名久井直子ら、第一線で活躍する他ジャンルのクリエイターと次々とコラボレート。その活動は、質、量、範囲、スピードのいずれもが、従来の演劇界のひな形には収まらない。
東京芸術劇場では、2011年に行なわれた若手劇団のショーケース、「芸劇eyes番外編『20年安泰。』」で短編『かえりの合図、』を発表、さらに昨年、今日マチ子原作のコミック『cocoon』の舞台化、そしてつい先日終演した『ΛΛΛ かえりの合図、待ってた食卓、きっと、そこ………』を上演し、いずれも高い評価を得た。
そして遂に本作でプレイハウスに進出する。これまで、客席数十から200前後のキャパシティの会場で作品を発表してきた藤田にとって、中ホールでの演出はこれが初となる。と同時に初めて、自分ではない劇作家によって書かれた戯曲と取り組む作品にもなる。ちなみにプレイハウスにとっても、中劇場と呼ばれた約20年の歴史で、20代の演出家を迎える極めて希な公演であり、野田戯曲に新たな演出家が取り組む芸劇のシリーズとしても、これまでの2作(『農業少女』×松尾スズキ、『障子の国のティンカーベル』×マルチェロ・マーニ)がシアターイーストだったため、初のプレイハウスとなる。
さらに今作は、勝地涼、松重豊、山中崇という映像でも活躍する俳優と、劇作家・演出家・美術家・音響家でもある飴屋法水、藤田作品に多数出演している青柳いづみら、多彩な出自の俳優が揃ったことも大きな話題だ。
さまざまな角度から注目を集めるこの公演について、藤田にインタビューを行なった。創作に注ぐのと同じように、創作について語ることにもエネルギーを惜しまない姿勢から、また、その内容から、なぜこの人が多くの支持を集めているかが窺え、『小指~』への期待がさらに高まる。
一流の当たり屋(走行中の自動車の前にわざと飛び出してケガをし、因縁をつけて法外な賠償金を巻き上げる犯罪者)を目指す青年・赤木圭一郎、怪しい白い実を売る女・粕羽聖子、白い実の謎を追う刑事、一月から十二月までの名前を持ち、凧に乗って空を飛ぶ聖子の息子達……。魔女狩りやカスパー・ハウザーなどのキーワードを散りばめ、時空を自在に飛び越えながら、短い時間で消えゆく子供時代の残酷さと美しさを描く。
『小指~』が持つ隙間を蘇らせたい
―― 最初に、なぜ藤田さんが『小指の思い出』を演出しようと思ったか、その理由から教えてください。
「僕は北海道の伊達市出身で、東京でやっているような舞台をしょっちゅう観に行く環境にはいなかったんですね。ただ、小学生の時から市民劇団で役者をやっていて、周りに演劇好きな大人がいた関係もあって、中学生の頃に夢の遊眠社の作品はVHSで観ていたんです。確か最初は『半神』、次が『野獣降臨(のけものきたりて)』、そして『小指の思い出』という順番だったと思います。去年、『cocoon』という舞台をやってる時に、芸劇の方から、野田さんの作品に興味があるか、やるとしたら何がいいかと聞かれて、迷わず出てきたのが『小指~』でした。
(なぜ惹かれたか)端的に言うと、こんな言い方は恐れ多いかもしれませんけど、僕はこの話を"青春もの"だと思っているんです。少年がたくさん登場するけど、少年が少女でもあるし、女優さんが少年を演じる。しかも、その母親を男である野田さんが演じていて、性をいくつも飛び越えているんですよね。僕は、少年少女の揺れみたいなものを描いているのが青春ものだと捉えているんですけど、『小指~』はそこが突出している。その"ティーンな感じ"が、僕がやっているマームとリンクすると思いました」
── 演出することを考えるとかなり難物だと思うので、すぐにこの作品を選ばれたのは意外でした。
「野田さんの作品は好きなものがいくつもあるんですけど、やっぱり野田さんは演出家としてもすごいから、他の人が演出する必要性を感じないことが多いんです。野田さんがやって完璧なら、それでいいというか。『小指~』の以前の上演が完璧ではなかったということじゃなくて、この作品には隙間があって、その隙間を蘇らせたい。それなら僕がやる意味を感じられる。
僕(の創作)には常に"繰り返し"というテーマがあって、今度の上演は、野田さんの昔の戯曲を別の演出家が上演するという意味合いだけでなく、約30年前の作品を今またやることを含めた演出になっていくと思います。夢の遊眠社という劇団が過去に存在して、その活動の中期にあの作品があった、ああいう形で上演されたということも考えたい。過去に一旦終わった作品を、僕の言葉で言うと"リサイクル"になりますけど、なぜ今リサイクルしなくちゃいけないのか。それを考えるのが大きいと思っていて。他の作品のことはわからないけど、『小指~』に関しては、今演出するのは多分、僕が1番相応しいんじゃないかなっていう自信があるんです」
── メインのキャストのアイデアも、その場ですぐに出たんですよね。
「もしかしたら、作品のテーマとか内容よりも、飴屋法水さんとまた一緒に創作をしたいという意識が(『小指~』を選んだ理由として)まずあったのかもしれません。
遊眠社の『小指~』は野田さんが一人二役で、生まれ変わる前と生まれ変わった後を演じていましたよね? それが、僕と飴屋さんの共同作品にリンクしたんです。『マームとだれかさん』というシリーズの中で飴屋さんと一緒につくった作品があって、それは飴屋さんに自動車にはねられる男の役で、それを女子高生役の青柳いづみさん(藤田作品に多く出演し、チェルフィッチュにも度々参加する俳優)が歩道橋の上から見ている話だったんですけど、創作中に、中3の時にVHSで観た『小指~』を思い浮かべた瞬間があった。そこから、ひとりの人物の生まれ変わる前を飴屋さん、生まれ変わった後を青柳さんにやってもらうイメージが一気につながって、野田さんの戯曲をやるなら『小指~』で、それは飴屋さんと青柳さんが一緒に出ることを抜きには考えられないものでした」
再演は、古着を古着のまま着こなすこと
── "青春もの"という言葉についてもう少しお聞きします。マームは、多くの人が忘れてしまうモノや場所、出来事や感覚に光を当てて瑞々しく、時に生々しく蘇らせます。先ほど藤田さんが創作上のテーマにしていると言った"繰り返し"を演出で使うことで、その掘り起こしを成功させている。それを「鈍感になってしまった人=大人vsそれに抗って繊細さを持ち続けようとする人=若者」という図式にすると確かに"青春もの"だと読み取れるし、当時の野田戯曲との共通点も納得できます。ただ、一般的な"青春もの"のイメージとそれは微妙にズレている。藤田流の"青春もの"へのアプローチを、もう少し具体的に教えていただけますか?
「確かに、僕がこだわって描いてきたのは"子供の時代"で、それを簡単に"青春もの"という言葉で片付けられたくないですし、同様に『小指』という作品も単なる"青春もの"ではないと思います。でもある角度で言うと、やっぱりそうだよね、というところがある。何よりも役名で、正月とか六月とか八月って出てくるじゃないですか。生まれた人はやがて死ぬし、もしかしたら生まれ変わる場合があって、そういう一連の流れの中で、誕生日とか生まれた年が大きな意味を持っていると思っているんですね。それをそのまま名前にしているのは、僕にしてみたらすごい青春な感じです。
そういうところを独自の尺度でやっていけたらなと思っていて、まず役者さん全員の誕生日を聞こうかなと考えています。正月とか八月といった誕生日を持つ役もやるんですけど、本当の誕生日とそれをリンクさせたい。今、生まれた日の新聞を印刷できるサービスがあるので、それを全員分やってみたい。そういったことがマームのオリジナル作品と同じモラルで青春という言葉を使うこととつながると思う」
── 芸劇シアターイーストで6月に上演した『ΛΛΛ~』も、直接的にはそういうシーンはないけれども、俳優の皆さんがそれぞれの"家庭の味"を稽古場に持ち寄って一緒に食べるという時間をつくっていらっしゃいましたね。それは家族の食卓という作品のモチーフをより深く肉体化、共有化するためだったと思いますが、生まれた日の新聞はきっと、『小指~』におけるその作業なんでしょうね。もとの戯曲には手を加えずに、そういう時間を付け加えることで、藤田流にしていく。
「誕生日の話はきっと大事な作業になると思います。あと、僕自身の話で言うと、テープが伸びかけたVHSで『小指~』と出合った田舎の15歳としては、こういうものが東京ではバンバン上演されてて、これがわからないと演劇やっててもしょうがないんだ、みたいな気持ちで頑張って観たわけです。でも実際は、頑張ってもわからないところはわからないんですよ(笑)。ただ、グッと来るところはグッと来る。そのニュアンス自体、僕の10代の頃の、言っちゃえば青春じゃないですか。稽古の準備を進める段階で、また映像の資料を観るだろうし、また改めて戯曲も読みますけど、1番忘れちゃいけないのは、その時のニュアンスだろうなと思っています。
逆に言えば、それを大切にするから戯曲はいじらなくていい。演出で、(自身の演出の大きな特徴である)あるシーンを繰り返す、リフレインをかけることはあるかもしれませんけど、自分の言葉を入れようとは思っていません。
ただ1点だけ、当たり屋に関してはちょっとスタイリッシュに行きたいと思っています。赤塚不二夫さんのとか昔の漫画を読むと出てきますけど、僕らの世代はやっぱりピンと来ない。僕が北海道出身だから余計にそう思うのかな。北海道の田舎は相当なスピードで車が走ってるから、当たりに行ったらマジに死んじゃう感じですもん(笑)」
── お話を伺っていると、戯曲との冷静な距離感が、もうちゃんと取れているようですね。
「戯曲を読むと、やっぱり野田さんという人が頭に浮かぶんですけど、僕は野田さんと並走してきた世代じゃないんですよってことをちゃんとやらなくちゃいけないなと思っていて。僕は、それこそ田舎で演劇やっていたから、生で観られたわけでもないし、時代も違うし、こんなことを言ったら失礼なのかもしれませんけど、夢の遊眠社の劇は、演劇をやる上で観るべき教材としてあったんです。つまり古典だったんですね。でも、それに対してのリスペクトはすごくあります」
―― 隔たりを隔たりのまま残す、それが藤田さんの言うリサイクルということ?
「なんて言うか、再演って、野暮だなという気もするんです。純粋に『小指~』を味わいたいなら、タイムスリップするしかないわけですよね。同時に、真新しいものとしてやりたいのであれば『小指』じゃなくてもいい気がする。だけど僕が、正しい意味ではきっと届かないんだけど、野田さんが当時の遊眠社で生み出したかったグルーブを想像して、自分なりに手を伸ばす状態がリサイクルなんじゃないのかな。つまり、野田さんの戯曲で新しい服をつくろうとするんじゃなくて、古着を古着のまま、いかに現代的に着こなすか、それが再演だと考えています」
演劇の速度を変えたい、という思い
―― そして今回、プレイハウスでの上演という点でも注目が集まっています。そこには、若手演出家が大きめの劇場に進出すると付きまとう「好きな作品づくりは卒業して大人の世界に行ってしまうんですね」という無言の圧力もありますし、何より、ある世代から下の演出家は大きな空間を演出できないという日本の演劇の問題があって、そこをクリアできるかどうかに多くの期待がかかっています。
「いろんなことを言われているのはわかっているつもりです(笑)。大きい空間で演出して何かを動かせる演出家が、若い人達の中に少ないのは事実だと思うし、キャスティングもそうですよね。大きな会場を埋めるために商業的なキャストを入れて、結果、やりたいことができないで終わってしまった話も聞きます。
でも僕は以前から、大きい場所でも小さい場所でもちゃんと演出できる人になりたいと考えてきました。たとえば商業的なキャスティングをした場合も、ちゃんと集客ができて、しかも今までの僕のニュアンスも残した状態で作品をつくれるようになろうと。
それにこの間、チラシの撮影をして、出演者の皆さんに改めて会ったんですけど、勝地(涼)君とか松重(豊)さんとか山中(崇)さんとかを指して商業的な俳優と言われるのは、すごくイヤなんです。あの人達と飴屋さんが並んだ時に、すごく格好良かったんですよ。女子受けがいいという格好良さではなくて、全体として雰囲気が揃っていて、とても気持ちのいいものだった。彼らを僕が演出したら、たぶん今までになかったニュアンスが生まれる気がしたし、僕がこのところいろんなアーティストの方とコラボレーションしてきた経験がきっとここで生きて、コンテンポラリーな意味でこのキャストを見せられるという自信も生まれたので、お客さんにはそれを楽しんでほしい。今まで"小劇場のお芝居は観るけど大きい劇場は……"と思っていた人も今度の『小指~』は観に来てほしいです」
── そう言い切れる理由に、藤田さんの創作の密度から来る経験値があると思います。劇作家や演出家の中には、短期間に何本書いても"書き疲れ"や"アイディアの枯渇"を感じさせない人がいますが、そういう人は本当に稀で、大抵は途中から息切れを感じさせます。あるいは、疲れたり枯れたり飽きられたりするのを恐れて、先回りしてペースを落とします。でも藤田さんは特にこの3年、若いというだけでは済まないタフさで活動を続けていますよね。量、スピード、組む相手のジャンルの広さ、そして海外公演や国内ツアーの移動距離と、いずれも前例が無いと言っていい。そのモチベーションと意図を教えてください。
「20代前半の3年間に書店でアルバイトをしていた経験が大きいです。その書店では自分でテーマを決めてコーナーをつくれるんですけど、その時に、自分の名前が載った本がゆくゆくそこに積まれるかみたいなことを、すごく考えたんですよ。宮沢章夫さんや松尾スズキさんのエッセイが置いてあったりはしたものの、演劇人の名前が載った本が、普通の小説家や漫画家と同じ速度でメディアに載って一般のお客さんの目に触れることが本当に少ないってことを痛感したんです。
速度って、それがすべてではないけど、重要だと思うんです。たとえば折込チラシを見たことがない人なんてめちゃくちゃ多いじゃないですか。つまり1回足を突っ込んだ人しか触れられない世界ができてしまっている。そういう演劇特有の重さと遅さがあって、一般的なメディアには乗り遅れてしまう。20代前半でそれをすごく考えて、そのことは僕の中でコンプレックスになった。自分は間違いなく演劇をやり続けるんだけど、その演劇がそんなに閉じてしまっているということが恐怖だったんですね。だから、もし僕がやりたいことをできるようになったら、演劇の速度を変えたいという気持ちが、マームを始めた当初からあったんです。
でも、いろんな職業の人と関わって逆に発見できたのは、演劇よりも重い、遅いと感じるメディアもあるということなんです。演劇はお客さんに直接見せるからレスポンスがすぐだし、自分で"あ、これは失敗なんだ"とわかるまでが速い。最近は、いろんな表現のいろんな速度を近くで見て、速度で競い合うことはどうでもいいと思うようになりました。この人達とは違う速度で、でもこの人達と同じくらいの露出で、自分達の力で活動するにはどうすればいいのか。最近、考えているのはそれですね」
自分の言葉を封印したスケジュール
── どんどん加速、拡大していく活動を観て私なりに考えていたのは、誰も見たことのない景色を藤田さんが見ようとしている、走りながら、あるいは登りながらその体力をつけようとしているのではないか、ということでした。そのチャージの様子も見せる覚悟で。でも、予想以上に俯瞰してご自身の活動をとらえていますね。
「スケジューリングは、実はしっかり考えているんですよ。たとえば今年の3月と4月は『マームとだれかさん』シリーズを続けざまにやり、そのあと続けて『まえのひ』というリーディングのツアーを日本中でやったりして、"週刊マームとジプシー"と言っていいくらいの公演数だったと思うんですけど(笑)、それで何をしたかったかというと、自分の言葉を封じ込めたかった。歌人の穂村弘さんやブックデザイナーの名久井直子さん、作家の川上未映子さんとコラボレーションすることで、僕は自分の書き下ろしを封印したんです。作品を発表しつつも、そこに僕の言葉はなかったんですね。そうすると、自分の言葉を捻出することにものすごくハングリーになっていくし、プラス、野田さんの作品を演出することの勉強になりました。
『小指~』は去年決まった話だったから、短期間でうまく人の言葉を演出できるようにならなきゃいけないじゃないですか。僕は、自分以外の人の言葉を演出するスキルはすごく重要だと考えています。新劇の劇団では、演劇史を学んで海外の古典から現代の劇作家が書いたものまで、戯曲を読み込んで演出だけに専念するプロフェッショナルの人達がいるわけですよね。僕が今回の企画に呼ばれたのは、若いからということと、何となく新しいからだと思うんですが、やらなくちゃいけないのは、演出のプロに挑むのと同じことなんです。意外に思われるかもしれませんけど、僕はそういう先輩達をかなりリスペクトしていて、その人達にこの短期間で及ぶとは思ってはいないけど、でも恥ずかしくないものをつくるためには、自分なりに工夫して修行しなくちゃいけない。そのために──もちろん、それだけが目的ではないですけど──、誰かの言葉と格闘する機会が必要だと思ったんです。
やったことのないことをするとか、絶対に成功させなくちゃいけないことがある時に、僕は家にこもって考えるということをしたくないんですよ。とにかく誰かに見せて、傷付きながら考えたい。そうやって自分を鍛えようと思っているし、そのために冷静にスケジュールを決めて、着々とひとつずつこなしてきたところはあると思います」
── そういう意識を早い時期から持っている人は少ないと思います。それは藤田さんが、小学生の頃から市民劇団に入って大人の中で作品をつくり、高校時代は演劇部で高校演劇大会の全国大会を目指すなど、広い視野を持たざるを得ない環境にいたから芽生えたものなのでしょうか。
「それと、26歳で岸田(戯曲賞)を獲った時点で決定的になったことがあります。獲っても満足できなかったし、自分の演劇を考えたら拙いところがたくさんあって、それを強化したい気持ちのほうが大きくて、じゃあどうするかってことを考えた。そこには、大きい舞台でやりたいということも入っていましたし、人が書いた戯曲を演出するということもありました。
そういえば"週刊マームとジプシー"ペースで『マームとだれかさん』と『まえのひ』をやった時は、役者が青柳さんだけで、青柳さんがずっと僕の言葉じゃない言葉を喋り続けている状況に自分を追い込んだんですけど、それも結果的に『小指~』につながっているんですよね。だから野田さんラスボス(最後に倒す相手)みたいな感じです(笑)」
―― お話を伺っていてイメージしたのは、穂村さんや川上さんの言葉という円盤がいくつか組み合わさって回って、『小指~』という大きな車輪を動かす、というビジュアルです。大きい車輪は1回転で遠くまで進むし、速い。そしてそれを可能にしているのは、それぞれ形の違う円盤の運動という。
「そうですね。この先の公演を視野に入れたことも、今、やっていたりするわけで、自分なりの連想ゲームでスケジュールを埋めていくのは、これからもしていくと思います。理想なのは、それも含めてマームをおもしろがってもらうこと。それ自体が、マームとジプシーというジャンルになることです。
だから、続けて観てもらえたら"ああ、ここでこれがあの作品と繋がったんだ"と感じてもらえることもあると思うんですよね。『マームと飴屋さん』を観た人は限られていますけど、『小指~』を観た人がその先で、そういえば飴屋さんとマームはあの時ああいう活動もしてたよなって振り返る時があるんじゃないかな。『小指~』にはそういう要素がたくさん入るような気がしています」
[藤田貴大プロフィール]
© 篠山紀信
藤田貴大(ふじた たかひろ)
北海道出身。劇作家、演出家、マームとジプシー主宰。2011年6月~8月にかけて発表した三連作「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で第56回岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。その活動は演劇界にとどまらず、今までに様々なジャンルの作家と共作を発表。2013年「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」で初の海外公演を成功させる。2013年8月漫画家・今日マチ子原作「cocoon」を舞台化して話題となった。
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